株式会社京都栄養化学研究所

受託製造

100年を越える京都との歩み

発売当時のビーオーの広告紙面

創業100余年を迎えた京都栄養化学研究所。人々の栄養が不足していた時代に開発された天然サプリメントを原点とする100年以上の道のりには、食生活や生活習慣の変化に伴う変遷と、変わらぬ想いがありました。

創業期京都栄養化学研究所のはじまり

ハトを使い実験する平田清一の写真
ハトを使い実験する清一
発売当時のビーオーの写真
発売当時の「ビーオー」

1908年。狛田村(現在の精華町の一部)の庄屋であった平田家の当主・清一が城南酒造株式会社を設立しました。もともと平田家は春日神社に納める酒を造っており、清一はその家業をさらに拡大。「菱亀」「狛桜」などの酒を世に送り出しました。

しかし、「人のため、世のためになることをしたい」と考える清一の胸の中には、「自分のつくる酒が、果たして人を幸せにしているのか」という迷いがありました。

そんなある日、彼は酒蔵が焼け落ちる夢を見ます。焼き尽くされたその跡に白く輝くものを見た清一は、この夢が何かの啓示ではないかと考えました。そして数ヶ月後、その夢は正夢となったのです。火事に遭い、焼け落ちる城南酒造。その焼け跡に残された白く輝くもの。それは「ぬか(糠)」の山でした。

ぬかは酒を作る工程で余るものですが、豊富な栄養が含まれており、清一は常々「ぬかを何かに利用できないか」と考えていたのです。この出来事を毘沙門天のお告げだと信じた清一は、焼け残った酒を処分。酒造権も手放し、ぬかの研究を始めました。

当時、ビタミンB群不足による脚気などの病気が深刻な問題となっていました。ビタミンB群不足にはぬかから抽出できるビタミンB1が効果的であることを突き止めた清一は、ぬかを原料として「玄米発芽微粉末 ネオ健康素 ビーオー」を製造。脚気や疲れに効く活気的な“天然サプリメント”としてたちまち話題となりました。1912年には、本格的に生産を行うため株式会社京都栄養化学研究所を設立。宮家への献品御使用や、戦時中には軍に納めるなどの功績を残したのです。

発展期さらなる発展ともうひとつの健康食品

清一の跡継ぎであった亨は音楽に造詣が深く、音楽大学を卒業しピアニストとして活動していました。しかし30代になったある時、不摂生から身体を壊し、入院。薬もあまり効かず、余命わずかとまで宣告されてしまいます。

そんな頃に出会ったのが、京都栄養化学研究所が薬の加工素材を納品していた人間医学社の漢方医・大浦氏でした。ビーオーと野草の漢方薬を飲むようにという大浦氏のアドバイスに従った亨は、今までの不調が嘘のように回復。命の恩人である大浦氏に弟子入りし、本業として素材の加工に取り組むことを決意しました。人間医学社と京都栄養化学研究所の関係はこの後、現代に至るまで続く強固なものとなっていきます。

ある時、亨は人間医学社に納品する素材の中にあったクマザサに注目します。免疫力を高めるとされるその効能に魅力を感じ、許可を得て京都栄養化学研究所オリジナルのクマザサ葉緑素「ササジン」を発売。主婦の友社の雑誌でも紹介され一躍話題の商品となったササジンは、スーパーマーケットやドラッグストアを運営する阪急共栄物産と販売契約が結ばれ、広く一般へと広まっていきました。

転換期メーカーか商社か 転換期を迎えて

台湾のクロレラ培養タンクの写真
台湾のクロレラ培養タンク
旧工場前での集合写真
旧工場前にて

1968年、亨から事業を受け継いだ清嗣は、自ら近鉄百貨店の売り場に立ち店頭販売を始めました。白衣を身にまとい、青汁にハチミツを加えてミキサーにかけ、試飲してもらう。すると、青汁だけでなくハチミツも美味しいと評判になりました。

このハチミツは既製品を使用していましたが、新たなマーケットの開拓が必要だと感じた清嗣はハチミツの販売も行おうと考えました。クローバー、菩提樹、レンゲ、みかんなど様々な種類のハチミツをカテゴリーごとに並べ売り出すと、青汁とともに大好評。その様子を見た近鉄百貨店側から、新設する健康食品コーナーを任されるまでになります。

勢いを得た清嗣は、1978年にこの事業を商社「京研」として法人化。社長は弟の勝三が務めました。一方で清嗣は、1981年に日本製粉グループに新設された健康食品会社・日本デイリーヘルスの初代社長に就任。胚芽の仕入れ先であった日本製粉にその商才を見初められての功績でした。

こうして関係を深めた結果、日本製粉が京都栄養化学研究所の資本の36%を出資。日本製粉持分法適用関連会社となり、世間からより強い信頼を得ることができました。その後清嗣は、京研を京都栄養化学研究所に合併。OEM、オリジナル商品の販売など、様々な可能性を探り、転換期の京都栄養化学研究所を発展の道へと導きました。

他にも、清嗣が残した大きな業績に、台湾でのクロレラ培養があります。クロレラの種類を徹底的に研究し、β1,3-グルカンやクロンAといった栄養素を唯一抽出できる「クロレラピレノイドサ種」に着目。最適な気候である台湾で、屋外での培養を成功させました。

さらに2009年には、けいはんな学研都市に新工場を建設。各業界のトップが集まった学研都市の中で、地域に密着した地元企業である京都栄養化学研究所は大きな注目を集めました。

変革期味・香り・シチュエーション・食欲にこだわる健康食品

社屋を背景にした現社長、清紀近影
現社長・清紀
お茶製法の機械写真
お茶製法

2012年に清嗣の跡を継いだ現社長・清紀の信念は、清嗣の築いた道をさらに進化させ、「栄養補助食品会社」ではなく「食品会社」になるべきだということです。健康に良い、栄養が豊富なのは当然。栄養補助食品の固定観念をはずし、錠剤・顆粒などの形態だけではない、食べやすく継続できる商品を供給することが大切だと考えています。

食事とは別に摂取する「サプリメント」ではなく、栄養補助に主眼を置きつつ「美味しさ」と「香り」にこだわり、食事の場という「シチュエーション」で「食欲」をそそるような健康食品。そんな商品を、京都栄養化学研究所は目指しています。

さらに、グローバル化も大きな目標の1つです。グローバル戦略の鍵となるのは「地域原産マーケット」。日本だけでなくアジア、ひいては世界へ向け、京都素材を活用した「Made in Japan」ならぬ「Made in Kyoto」のブランディング商品を販売しています。また、パンやドーナツなどの原料として京都栄養化学研究所の強みである京都産素材の粉末を使用してもらうなど、これまで以上に広がりのある事業への取り組みも始めました。

新たな市場を発見・開拓し、変化し続ける京都栄養化学研究所。その中で、変わらないものがあります。それは、清一の抱いていた「人のため、世のため、地元密着で、地域の繁栄のために」という想い。そして旬の天然素材へのこだわりです。

地元農家の方々やJAと連携するなど地域の活性化に取り組むほか、京都原産素材の可能性を常に追求するべく、今後は地域素材の機能性を引き出すための研究も実施。京都原産農作物の風味と色を大切に保ったまま乾燥させる設備を導入し、栄養補助食品として活用していきます。

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